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富士山周りの世界遺産
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1 富士山(富士山域)
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1-1 山頂の信仰遺跡群
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1-2 大宮・村山口登山道(現在の富士宮口登山道)
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1-3 須山口登山道(現在の御殿場口登山道)
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1-4 須走口登山道
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1-5 吉田口登山道
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1-6 北口本宮冨士浅間神社
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1-7 西湖
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1-8 精進湖
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1-9 本栖湖
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2 富士山本宮浅間大社
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3 山宮浅間神社
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4 村山浅間神社
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5 須山浅間神社
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6 冨士浅間神社(須走浅間神社)
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7 河口浅間神社
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8 冨士御室浅間神社
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9 御師住宅(旧外川家住宅)
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10 御師住宅(小佐野家模造復元住宅)富士吉田市歴史民俗博物館
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11 山中湖
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12 河口湖
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13 忍野八海(出口池)
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14 忍野八海(お釜池)
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15 忍野八海(底抜池)
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16 忍野八海(銚子池)
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17 忍野八海(湧池)
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18 忍野八海(濁池)
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19 忍野八海(鏡池)
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20 忍野八海(菖蒲池)
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21 船津胎内樹型
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22 吉田胎内樹型
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23 人穴富士講遺跡
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24 白糸ノ滝
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25 三保松原
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- 名称
- 村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)
- 住所
- 〒418-0112 静岡県富士宮市村山1151
- 電話番号
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- 料金
- 境内無料
- 営業時間
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- 駐車場
- あり
- 標高
- 316.8m
1149年(久安5年)に末代上人が富士山の山頂に大日寺を建立したという記録が残されています。後に末代は村山浅間神社に興法寺<こうぼうじ>を建立しました。平安時代末期に富士山の噴火が鎮まると山の中で修業をする修験者が現れ、興法寺はその中心地として発展しました。後に一般の道者の登拝も増加し、「絹本著色富士曼荼羅図」にはその様子が描かれています。江戸時代には「村山三坊」(池西坊<ちせいぼう>、辻ノ坊<つじのぼう>、大鏡坊<だいきょうぼう>)が、村山浅間神社(興法寺)及び登拝道を管理し、村山は、興法寺を中心とする修験者や門前百姓の住む修験集落になりました。1868年に明治政府の神仏分離令によって興法寺は廃止され、村山浅間神社及び大日堂に改称され、1872年には修験道も禁止され、多くの修験者は還俗<げんぞく>しましたが、一部の修験者の活動は、1940年代まで継続的に行われていました。御祭神は木花開耶姫命<このはなさくやひめのみこと>です。